
ANAウイングス株式会社にCA(客室乗務員)として入社が決まったAさん。CAコンシェルジュに入校後、グランドスタッフとして2社の内定が決まり4月から福岡空港で働き始めました。その後もCAになる夢を諦めず、シフトや訓練が忙しいなかレッスンに通い二ヶ月で第一志望の会社に合格!その期間、絵梨さんと一緒に就職活動をしている気持ちだったというお母さまにお話を伺いました。
(聞き手:プロインタビュアー)
写真左)
内定者:E・Aさん
内定先 : ANAウイングス株式会社 客室乗務員
ANAエアポートサービス株式会社 グランドスタッフ(地上職)
株式会社スターフライヤーフロンティア グランドスタッフ(地上職)
写真右)
お母様:澄子さん(57歳)
ええ、でも娘が真剣に目指し始めたのは大学三年生、就職活動が始まったころです。高校三年生のときにも専門学校のオープンキャンパスへ行きましたが、そのころはまだ本人の意志が固まっていなかったので。だから、その道一筋に向かうのではなく、大学へ行ってからでも遅くないですし、広く学んでほしいという気持ちでした。
高校生のころはまだ憧れという雰囲気で、現実的な話には受け取れなかったんです。でも、真剣に将来を考えたときにCAという夢が諦めきれなかったんですね。でも、実は私もこのスクールに来るまでは、娘の夢が叶うとは思っていませんでした。娘は身長が低かったので、それが引っかかっていたんです。ただ、身長が絶対的な条件ではないということも、だんだん分かってきました。
従姉がこちらでお世話になっていたんです。絵里も、従姉が昔から夢だった客室乗務員になったことを知ってびっくりしていました。それが大きなきっかけになり、自分でもなれるかもしれないと思ったそうです。
その子の母親とも仲良しなので、よくこのスクールと乾先生のことを聞いていました。厳しいところもあるけれど、CAは特別な子がなるものではなく、目指して一生懸命勉強すればなれるというスクールの考え方に共感しました。
娘は通うところを一カ月くらい探していたようです。他のスクールにも電話をしたり、話を聞きにいったりいろいろと調べていたようですが、乾先生と出会ってからは「ここしかない」と言っていましたからね。先生に会って、この人から学びたいと思ったそうです。
娘が初めてこちらでカウンセリングを受けたとき、CAになれる確率を先生に聞いたそうです。そしたら、乾先生は迷わず「100パーセント!」とおっしゃったんです。それで、帰り道に「すごい人に会った!」という電話をもらいその話を聞くと、私もすぐにそこに決めなさいと言いました。
もしそのとき、90パーセントと言われていたら迷ったかもしれませんが、先生が100パーセントだとおっしゃってくれてすごく安心したんです。たとえ、年数がかかったとしても娘はCAになれるんだという気持ちになりました。そのときはまだ先生にお会いしたことはなかったんですが、知人からもお墨付きで信頼できたので預けたいと思いました。
夢を叶えるのは大変なことですが、目指さなければ叶いません。それに、目指す価値はあると思いました。だから、そこは親として最大限に応援しようと思いました。
スクールのことは娘からいつも聞いていました。授業中はほどよい緊張感があって、自分が進化していく感覚がすごく楽しかったようですね。CAコンシェルジュに通いだしてから、充実しているんだということが顔を見れば分かりました。
家でもわがままが少なくなったというか、私の気持ちを少し分かってくれるようになりました。私が仕事で忙しくしていると、洗濯物を「あと、干しておくよ」と言ってくれるようになったり。相手の立場を少しは考えられるようになりましたね。
大学の授業の合間を縫って、山口県から毎週通っていました。スクールへ行く前には眠そうで疲れているなと思うときもありましたが、レッスンを終えて帰ってくると、毎回行ってよかったと話していました。怒られることもあったそうですが、必ず前向きな気持ちになって帰ってきました。だからどんなことがあっても、レッスンだけには通っていましたね。
はい。クラスメイトが次々と合格していくなか、この子だけが一社も内定をもらっていなかったんです。そんなとき、娘は弱気になって「私はCAに向いてますか」と先生に聞きました。それに対して乾先生は「向いてないと思うんだったら、向いてません」と、きっぱりとおっしゃったそうです。娘は「Eちゃんならなれるよ」と言って欲しかったんだと思います。でも、先生は「じゃあ、向いている人ってどんな人?諦めきれない人じゃないの。諦めきれるんだったらあなたは向いてないんじゃない」と突き放したんです。
さすが乾先生だと思いました。娘のことを信じて、先生がわざと言っていることが分かりました。正直に言うとそのころ娘は地元の大手企業に内定をもらっていたので、その道も悪くないかなって揺れていたんです。でもやっぱりそこで諦めたらいけない。先生の言われることがもっともだと思いました。
先生のその言葉を聞いて、Eはすごく変わりました。向いているかどうかなんて関係なくて、諦めないかどうか、その違いだけなんだということに気付かせてもらったんですね。
「私はなりたいって思っている時点でCAに向いてるんだ」と気持ちを切り替えることができたそうです。「CAさんたちは夢を諦めなかった人たちの集団だから、輝いて見えるんだろうな」とますますなりたい気持ちが強くなったようです。
娘は20社以上の採用試験を受けさせて頂きました。一次試験の書類審査のために、先生は10回以上も添削をしてくださったそうです。また、面接の指導もすごく丁寧でした。面接が終わる度に質問の内容やその受け応えで良かったところ、だめだったところをその日のうちにレポートにして先生にファックスで送るんです。そのひとつひとつを細かく分析してくださっていました。
他の学校では不合格のところには触れないでしょうね。でも不合格だったところは、なぜだめだったのかをきちんと理解して次の面接に臨むことが大事だと先生は教えてくださったんです。試験が近づくと、先生と一対一の指導が始まりました。娘はレッスン内容を録音して聞きながら家へ帰るという努力をしていました。娘がこれほど頑張っている姿を見たことはありません。
東京と福岡で二社、グランドスタッフとして内定をいただきました。東京が大きな会社のグランドスタッフで、福岡は子会社だったので私たちの気持ちは東京に傾いていたんです。でも、先生は「東京で働くほうがやりがいもあるけど、最終的なゴールはそこではないから福岡で働きながら一緒に目指しましょう」とサポートして頂きました。私も娘も、二年かかっても三年かかってもCAを目指すという気持ちだったので、先生のもとでチャレンジし続けることにしました。
先生は「グランドスタッフとして空港で働くことが一番身になる」という判断をして、一度はレッスンをお休みにしましたが、その期間も連絡は途切れませんでした。
第一志望の会社の募集が始まったころから、休日と勤務が早く終わる日にスクールに通いだしました。仕事と受験の両立は大変だったと思います。でも、とにかく先生がついてくださっていたので、私は安心して任せていました。実家を離れていましたが、毎日娘から詳しく話を聞いていたので、私も一緒に就職活動をしている気持ちでした。
はい。先生の言われた通り、グランドスタッフとしての経験が良かったようです。娘は今まで苦労という苦労をしてこなかったので、面接官からも働いているイメージが持ちにくかったのだと思います。それが、実際に空港で働いて辛いこともあり、地上スタッフの大事さに気づいたことなどが面接でも話せたそうです。
最終面接の結果はすごく不安でした。合格発表までの二週間は、毎日毎日、娘からの着信を待っていました。それが、ある日突然、山口へ帰ってきたんです。駅に迎えに行ったときに合格だったと聞いて「夢みたい」ってずっと二人で言っていました。
娘にはこれがスタートラインだから、人生の第二章だと思って頑張りなさいと言っています。これからが自分の輝ける場所ですし、入りたかった会社なんだから貢献できるようにきちんと働きなさいと。
初めはうちの子でもなれるのかしら、と思っていました。でも、CAコンシェルジュにきて、努力すればCAになれることを知りました。「乾先生に出会ったことが人生のターニングポイントだったね」とよく娘と話しています。道のりは長くて厳しいかもしれないけれど、夢を叶える第一歩なので諦めないでください。CAを目指すひとりでも多くの人に、ここに来て夢を叶えてほしいと思います。
〜Eさん、お母様の澄子様、本日はインタビューのご協力ありがとうございました。〜